衣食住の漢字

衣食住の漢字

 

衣食住の漢字


衣食住のサイトになりますが日常使用している衣食住
や現在はほとんど使われてない衣食住など紹介
してます、
現在では和服をきる人が大変少なくなり 住居食事
関しても洋式、洋食が増え衣食住もかなりかわって
きてます、
日本人は長寿国ですが食生活に大変な影響が有る
ようすね、文化に関しても和服、神社、仏閣等歴史の

あるもので世界遺産にも沢山登録されております、
大事にしたいものですね。


食べ物に関する漢字

かき揚げ
油揚げ(あぶらあげ)
地方によって、「あぶらげ」「あげ」と呼ぶ。本来は、油であげた食べ物すべてをさしたが、室町時代中期ごろ、豆腐を油であげて食べるようになり、江戸時代に入って、薄く切った豆腐の「あげもの」をさすようになった。油揚げは、みそ汁やひじき料理などの具として盛んに使われた。江戸末期に稲荷ずしが考案されれから、油揚げを開いて中に具をつめるなどして、いろいろな食べ方をするようになった。

甘酒(あまざけ)
醴とも書く。蒸したもち米に麹をまぜ発酵させたものを水でうすめて飲む甘酒は、古く『日本書紀』に醴酒の名で記されれいる。この「こざけ」は一夜酒、なめ酒などとも呼ばれ、アルコール分がなく、甘味飲料としてすでに室町時代から売られていたが甘酒の名で広く普及するようになったのは江戸時代に入ってからである。江戸天保時代(一八三〇〜一八四四年)以降は、現在のように神社や寺の縁日などで盛んに売られるようになった。

甘納豆(あまなっとう)
小豆やうずら豆、金時豆など豆の皮を破らないように砂糖で煮た菓子。甘納豆は江戸時代に浜松名物の浜名納豆からヒントを得て創られたといわれ、はじめは甘名納豆と呼ばれた。江戸末期栄太楼の初代細田安経兵衛が「金時ささげ」で菓子を作って売り出してから、甘納豆は急速に普及するようになった。

(あめ)
麦芽の作用で米や芋などの澱粉を糖分に変えて作った、粘りのある甘味食品である。古くは、日本書紀の神武記に、水無し飴をつくって、天下を平定した話 があり、高貴な人々の口にのみ入る甘味料だったと思われるが、延喜式には、京都の西の京に飴屋が出たとあり、平安時代には商品となっていた。江戸時 代以降は、飴細工もでき、さまざまな飴売りが登場し、子供たちの楽しみになっ た。一方で、うまいことを言ったり、わざと負けたりして、相手を喜ばせる意で「飴をなめさせる」などのことばが生まれた。

饂飩(うどん)
小麦粉に少量の塩を加え、水でこねて薄くのばし細く切ったもので、関西で人気があるが、地方によって、平べったい、ひもかわやきしめん、太くて腰の強い讃岐うどんなど特徴がある。饂飩の名は奈良時代に渡来した唐菓子混沌(小麦の皮に餡を包んだワンタンのようなもの)に由来するといわれ、これが混飩、温飩、饂飩と転じ、室町時代にうどんと呼ばれるようになった。

蒲焼(かばやき)
代表的な日本料理の一つで、鰻、穴子、鱧、泥鰌などに、醤油、味醂、白胡麻を煮つめたタレをつけて焼いたもの。味とともに焼いているときの芳ばしさに独特の風情がある。とくに夏の土用に食べる鰻の蒲焼は、古くから夏バテ防止の食べ物ととして珍重されていたらしく、『万葉集』に「石麻呂に吾物申す、夏ばてに良しという物ぞ鰻漁り食せ」という大伴家持の歌がある。

蒲鉾(かまぼこ)
室町時代から普及しはじめたといわれ、日本の練り商品の代表格である。原型は現在の竹輪と似ていて竹の串に魚のすり身を餅のようにして巻いて焼いたため魚餅ともいわれたが、その形が蒲の花穂に似ていたことから名がついた。蒲穫子と書き板ともいった。桃山時代になると、板に厚く塗りつけた形のものになり小田原はグチ、沖鱚、大阪はハモ、宇和島仙崎は鱠、で和歌山はむつなど地方によって 素材の魚が違い、味にも特徴がある。

寒天(かんてん)
テングサを別名心太藻というが、テングサから作った心太(ところてん)(天)を凍結、乾燥して作ったもので、日本で作り出された食品の一つ。心太を寒晒しにして作った寒晒心太が略されて寒天となった。江戸時代、島津候が京都伏見で宿泊した折、食膳の心太残りを捨てたところ、寒さで凍って透明になったと伝 えられる話が寒天のはじまりといわれ、黄檗宗の祖隠元褝師が命名したといわれる。製造法は、伏見から大阪、兵庫の山間に広がり、現在は冬期寒冷の気候にもっとも適した長野県に移っている。また羊羹などの寄せ物に使うほか、織物の艶出し、髪飾り、変わったところでは、細菌の培養基としても用いられている。

切蒲英(きりたんぽ)
細竹に固めに炊いたうるち米を巻きつけて焼いたもので、適当な長さに切って鍋料理などに使う秋田地方独特の食べ物でもある。もともとは、秋田の木こりが弁当として携帯したものだが、江戸時代に野菜や鶏肉を入れた現在の鍋料理の具に使われるようになった。

卷繊(けんちん)
中国式精進料理である普茶料理の一つで、黒大豆のもやしを胡麻油でいため、塩、醤油で味をつけたもの。日本では長崎で、いためたもやしを湯葉につつんで煮びたしにする料理を卷繊といい中国の卷繊に近い食べ物である。一般には、大根、牛旁、人参、椎茸などをいため、これにくずした豆腐を加えた卷繊汁が広く普及し、庶民の食べ物として親しまれている。

蒟蒻(こんにゃく)
インド原産のサトイモ科の多年草で、球茎を加工する。古くはこにゃくともいい、日本へは約一四〇〇年、朝鮮から医薬用として伝わった。平安時代には食用とされ、鎌倉時代の僧侶は煮たものを糟鶏とよんで食した。主成分はマンナンで、水分を含むと膨張して粘着性と弾力性を生じ、栄養価は低いが、便通・整 腸によいといわれる。最近はおでん、鍋料理、刺身のほかダイエット食品としても人気がある。名産地として中世には紀伊の紛河や総州の鍋山などがあり、群馬県下仁田地方のものは特に有名。 

金平糖(こんぺいとう)
金平糖・金餅糖の漢字を当てることもある。甘露蜜に小麦粉を加えたものを芥子の種を芯にかためたもので、小さないぼ状の突起がある。もともとポルトガルから輸入品といわれ、織田信長を訪ねた宣教師ルイス・フロイスがフラスコに入った「コンフェイト」をプレゼントしたという記録がある。日本では江戸時代前期につくられるようになった。

刺身(さしみ)
魚介類などを生のまま一口で食べられるように薄い切身にしたもの、指身、差味、などと書かれた。昔は切るということばを嫌い室町時代には魚肉の打ち身と呼ばれたが、この時代に醤油が発明されて刺身料理が完成したといわれる。語源は切ることを刺すともいったという説と、切り身の魚の名がわかるようにその鰭を飾りとして刺したことからとする説がある。関西では魚を切ることを、つくるといったので、  おつくりともいう。

柳葉魚(ししゃも)
北海道の太平洋岸にしか生息しないワカサギ科の魚で、新鮮さと淡白な味を身上とし、特に卵をもった雌を、甘塩の三杯酢で食べるのが美味とされる。十月頃から日高地方では本格的な漁期を迎え、秋の味覚として食卓や酒席に欠かせない魚である。

醤油(しょうゆ)
大豆を原料にした調味料で、むらさき、したじなどともいう。名の醤(ひしお)は奈良時代に穀醤、肉醤、草醤とよばれた一種のなめ味噌から、きていて、そこからしみ出た油のようなものということ。醤油のはじめは、鎌倉時代に中国の経山 寺に留学した僧覚心が、紀州金山寺で作った味噌(金山寺味噌)の桶のそこにたまった液に独特の香りと味のあることを発見し、現在のような醤油となった。江戸時代にはタマリ(豆油)ともいわれ、すし屋で出す醤油は現在でもタマリと呼ぶ。  千葉の野田、銚子、香川の小豆島などが有名である。

(す)
酒と同じころ誕生したもので、酒の酸敗したものから得られる調味料。日本には奈良時代に中国からもたらされ、調味料として使われていた。古くは辛酒と呼ばれ中国では苦酒と書かれた。清酒を原料とした酒酢、清酒粕を原料にした粕酢、米を麹からつくる米酢がおもなものとなっている。この他、合わせ酢として二杯酢、三杯酢、胡麻酢などの他、防腐効果や 変色を防ぐことから、魚の酢じめ、蓮根などの変色防止にも使われる。

(すし)
鮓とも書く。最近では「にぎり鮨」に人気があるが、起こりは魚介類の保存のための酢づけで、

東南アジアの米作民の川魚の保存法であったといわれている。わが国には、米と一緒に伝わったとされている。

十六世紀になって、飯に酒や酢で味付けをした鮨が登場する。江戸時代の初めには酒一升、塩三合、酢一合割で煎じたものを飯にまぜ、二日程度でつくる一夜ずしが広まった。

この早鮨 を京から江戸へ伝えたには江戸の医師松本善浦で、江戸前のにぎり鮨は文政 年間に始まった。大阪の押し鮨は筥鮨(はこずし)・バッテラ(ポルトガル語で船の意)ともいわれ、江戸中期から盛んになった。
赤飯(せきはん)
もち米に小豆を混ぜて蒸したもので、小豆の色がつき淡い赤紫の色がつくので赤飯の名がついた。ふつうおめでたい時に食べるが、東北地方では、葬式に赤飯を出すところがある。また、お祝いに小豆、不幸があった場合は黒豆を混ぜて区別するところもある。元来、水稲は赤みがかったもち米系統であるという説があり、神仏に赤飯を供えるのは先祖の食べた昔のままのものを上げるためといわれ、祭りや子供の疱瘡(ほうそう)送り、初潮の際に供える赤飯などは、赤色に呪力があると思われていたためだろう。赤飯はおこわ・おあかともいわれ、通常ごま塩と南天の葉を添える。

蕎麦(そば)
蕎麦切の略称。原産は北アジア大陸でタデ科の一年草。初秋、多数の白花をつけ山稜形の果実を結び、この胚乳で蕎麦科を作る。麺類では饂飩と並び賞され人気がある。はじめは粉のままゆがいて蕎麦掻として食していたが、朝鮮から渡ってきた僧、天珍によって、小麦粉を混ぜて切って食べる方法が伝えられた。他にも山芋や鶏卵がつなぎとして使われるようになった。ざるそばは、江戸時代初期に流行した蒸蕎麦切りであるといわれ、蒸籠はその名残りといわれる。また、年越しそばの起こりは、金銀箔をつくる際に出る粉の回収に蕎麦をまいたことから金銭の回収にかけたという説や、江戸の大商人が長く勤めるように使用人に大晦日にふるまったことからはじまったとする説などがある。

沢庵(たくあん)
日本の漬物の代表で、大根をよく干し、ぬかと塩で漬けたもので、ぬかが発酵して、大根に独特の風味ができる。沢庵と同じものを、京都では辛漬け、九州では百本漬と呼び、沢庵の呼称は主に関東のものである。

団子(だんご)
穀類の粉を水でこねて丸めて蒸したもので、つけ焼きにしたり、餡や黄粉をつけて食べる。団子は遺唐使が持ち帰った八種の唐菓子の一つで、餡入り餅の団喜がはじまりといわれる。江戸時代には、神社の大祭りや列祭りに、厄除けの供物として神前に供えられ、後に店でも売られるようになった。京都の下賀茂神社の「みたらし団子」などは今でも人々に好まれている。

(ちまき)
もち米、うるち米、黍、葛粉などを茅や笹などに包んで蒸した餅で、茅巻とも書く。端午の節句に粽を食べる習慣は、中国六朝時代(三〜六世紀)の続斎階記からきている。五月五日に汨羅江に身を投じた屈原を弔うため、楝(おうち)の葉で米をつめた竹筒の上をふさぎ綵糸をからませたものを忌日に川に投げ入れ蛟竜(水の霊)を祭ったと記され、六朝時代の五月五日に粽を作る風習と結びつけられた。日本では、平安時代にこの習慣のあったことが、伊勢物語、古今和歌集などに伝えられている。

茶碗蒸し(ちゃわんむし)
魚、鶏肉、三葉、松茸、蒲鉾などを具に、だし汁を醤油などで味をつけ、とき卵を加えて茶碗に入れて蒸した料理。茶碗を器に用いたことからこの名がある。現在の卵を使ったものは江戸時代にできたようだが、それまでは、生湯葉と山芋をすりおろして葛粉を加えたものや、栗や銀杏をすり、豆腐と山芋を加えたもの、豆乳などを地にする茶碗蒸などが各地で食された。

佃煮(つくだに)
江戸時代初期、隅田川の河口にあった小島に、摂津の佃村の漁民が移住したことからそこを佃島と呼ぶようになったが、佃島の漁民が、それまで食用しなかった小さな雑魚(ぎこ)を煮つめて保存食としたことによる。佃煮は魚貝・海藻・野菜などを?油・味醂・砂糖で長時間煮しめたもの。保存がきくうえ、安値だったので、大商人や下級武士の間で重宝され、土産品として江戸の名物となった。なお、佃島は本来、白魚の産地であった。

田楽(でんがく)
田楽豆腐の略で、豆腐を長方形に切って竹串に刺して味付け味噌をつけ火であぶったもの。田楽は平安時代から行われていた日本芸能の一つで、田楽法 師が七〜八尺の竹竿の下に横木を渡したものに乗って踊った様が、串ざしにした豆腐の形状に似ていたことから田楽の名が当てられたといわれる。現在では、豆腐に限らず魚や獣の肉を串刺しにして焼き味噌をつけて食べるものを田 楽といい、「おでん」は、田楽を宮中の女官が略して「おでん」と呼んだことにはじまる。

天麩羅(てんぷら)
魚貝などに小麦粉を水でといた衣をつけて油で揚げたもので、日本の代表的料理でもある。車海老、鱚、烏賊、穴子、人参、牛蒡、蓮根などを材料とする。精進揚げは野菜のみを材料にしたもの、かき揚げは、小さな材料をまとめたものである。室町時代に渡来した南蛮料理から発展したものといわれ、天麩羅の文字は幕末に当てられるようになった。

豆腐(とうふ)
大豆の胚乳部のタンパク質と脂肪を凝固させたもので、大豆を水に浸して石臼でひき、液を煮てしぼり、苦塩を加えて箱に入れて固める。中国では漢の高祖の孫、淮南王(わいなんおう)劉安(りゅうあん)が発明したものとされており、日本には曹洞宗の開祖道元禅師が中国から伝えたといわれる。はじめは精進料理の一つとして僧家のみで食されたが、しだいに一般に広がり、室町時代末期には焼豆腐ができ、江戸時代には高野豆腐、末期には卵豆腐、胡麻豆腐などが考案された。絹ごし豆腐は主に関西でつくられ、舌ざわりのなめらかさが人気となった。

心太(ところてん)
テングサ類の海草をさらし、煮て寒天質を抽出し、型に入れて冷やし固めたゼリー状の食品。成分は九十九パーセント水分でカロリーが低く、便通にもよい。心太の字を当てて、ココロフトといわれた。これがなまってココロタイ、ココロテン、トコロテン、と転訛したといわれる麺状にして芥子酢醤油や黒蜜で食べる。

納豆(なっとう)
現在納豆といえば糸引き納豆をさすことが多いが、これは、平安時で以後三年の役で陸奥にくだった八幡太郎義家の兵が、敵襲を受けた折、煮た大豆を藁袋につめて持ち去ったが、運搬の途中それが発酵し、糸引き納豆となったといわれる。もとは中国の(くさ)と呼ばれたものが原形で、唐に留学した僧によってもたらされ、僧房の納所でつくらえたので、納豆の名がつけられた。江戸時代には庶民の間でも日常の食べ物となり、僧房でつくられた寺納豆を、納豆売りが街でよび歩くようになった。有名な水戸納豆は、明治二三年の常磐線の開通を契機に本格的に販売されるようになった。

煮染(にしめ)
肉や野菜を醤油で煮しめた惣菜料理で、煮て醤油の色がついてニソメと呼ばれたが、転じてニシメといわれるようになった。室町時代に醤油が誕生して以来の料理で、正月に重箱に入れる煮染はお節といい、現在の新年の料理をおせちという。

沼田(ぬた)
味噌あえの一種で、新鮮な魚介類を材料に、長葱、分葱、朝葱、韮、若布などの野菜や海草を加え、酢味噌であえたもの。酢味噌のどろっとした感じから沼田と名づけられたらしい。

冷奴(ひややっこ)
豆腐を冷水でひやして、醤油と薬味で食べる、夏の代表的な家庭料理のひとつ。「やっこ」は、江戸時代、武家の下僕であった「奴」の衣装につけられた釘抜紋が、切った豆腐に似ていたことから名付けられた。

(ふ)
仏僧によって中国からもたらされたもので、小麦粉の粗粉から植物性のタンパク質を取り出してつくったもの。生麩には竹輪麩、簾麩、相良麩など、焼麩には、角麩、黄渦麩、菊麩、金漁麩、車麩などがある。主産地として大阪、京都、庄内が有名で、汁物の実やあえ物、煮つけなどに人気がある。

牡丹餅(ぼたもち)
もち米とうるちを混ぜて炊き、熱い間に粗くついて丸め、餡や黄粉、胡麻などをつけたもので、おはぎと同じ。盆に並べた姿が牡丹の花のようなところから名がついたとされる。牡丹餅は家庭の手造りで、春、秋の彼岸に仏前に供え、家庭を伴い隣近所に配った。菓子屋や茶店で売られるようになったのは江戸時代末期頃といわれる。

饅頭(まんじゅう)
鎌倉時代末期、中国から帰化した元の林浄因が奈良ではじめた奈良饅頭が起こりで、中国から伝わった蒸し菓子の一種。現在の小麦粉に甘酒やふくらし粉などを加えてこね、中に餡を包んだものは室町時代末期に砂糖が普及してからのことである。それ以前は、野菜や豆類を蒸しいれた菜饅頭といわれる塩味のものであった。

江戸時代には、米饅頭、蕎麦饅頭がもてはやされ、法事のときなどに配る習慣ができた。中国の饅頭の起源は、蜀の諸葛亮孔明が南方へ遠征した際、人頭を供えて神を祭った風習を野蛮として、人頭の変わりに畜肉を小麦粉をこねたもので包み、人の頭を描いて神に供えたことからこれを蛮頭と呼び、転じて饅頭となった。

味噌(みそ)
大豆、米、麦などを蒸してつき、麹と塩を混ぜて発酵させてつくる調味料。古くは未醤、味醤とも書き、日本には高麗人が伝えたことから高麗醤といわれた。味噌の語源も高麗方言の蜜祖からでたものといわれる。天平時代には日本独自の製法がができ、味噌汁は日常生活に欠かすことのできない汁物として普及し、全国各地に特徴のある味噌が誕生した。金山寺味噌、桜味噌、南部味噌、仙台味噌、など味噌の特徴から命名された他に赤味噌、白味噌、鯛味噌など作り方から呼ばれたものもある。

(もち)
もち米を蒸して臼でついて種々の形にしたもので、粟や稗、黍、栃などからも作る。漢字の「餅」はもち米で作ったものではなく、麦粉を  蒸したもので、もち米で作ったものは粱といった。

正月の鏡餅、雛節句の菱餅、草餅、端午節句の柏餅、粽などがよく知られている。形が丸い望月のめでたさをとってモチといわれたらしいが、遠出する際持っていった弁当の持飯から転訛したという     説もある。

鏡餅は古くは丸い薄いもので餅鏡といわれ、宮中の歯固めの餅として、神前に供えて固くなったものを食べて健康と長寿を祝ったもので、それが各家庭でも正月に床の間や玄関に飾られるようになった。  西日本では雑煮にも小さな丸餅を使い東日本では切り餅を使う。

最中(もなか)
もち米をくだいてこね、薄くのばし、丸く切ったもの焼いて皮をつくり、その間に餡をはさんだ半生菓子。はじめは皮だけの千菓子であだったが、江戸時代中期頃から餡をはさむようになった。高級菓子として一般に定着したのは大正時代以降のことで、代表的な菊最中をはじめとしてさまざまな形のものが考案されている。

 衣類に関する漢字

(あわせ)
単(ひとえ)に対して、表地に裏地を縫い合わせたものをいう。古く飛鳥時代から着用されてきた。平安時代以降は官服、法服に用いられるようになり、また江戸時代は、春四月一日から五月四日、秋九月一日から八日までを袷小袖の着用を義務づけていた。袷にするのは、単に比べ保温性に優れていること、表地の補強などのほか、すべりがよく着やすいなどの利点があるためである男物の袷は通し裏で、女物は胴裏と裾回しに分かれている。

(おび)
帯がいつごろから人類史上に登場するのかわ定かではないが、衣類を身につけるようになったときから、衣類を体に結びつける道具として発達した。とくに日本では、和服を着こなす重要な装飾品としての意味が加わり、江戸時代になると、おしゃれ用品として、結び方もさまざまに工夫されるようになった。また、帯は短すぎると役に立たないところから、中途半端なたとえとして「帯に短し襷に長し」といわれる。

肩衣(かたぎぬ)
室町時代の末から武家が素襖(直垂の一種)の代用として用いたもので、江戸時代は武家の通常の礼装(上下よりは略式)となった。背の中央と両方の衽(おくみ)とに家紋をつけた素襖の袖ををなくしたもの。肩から背にかけて小袖の上に着る。

合羽(かっぱ)
ポルトガル語のカッパ(capa)の当て字で、ポルトガル人が着用していた外套を模してつくられた雨衣。はじめは袖がなく丸合羽、坊主合羽と呼ばれたが、後に袖がつくようになった。素材は羅紗木綿、桐油紙で、木綿のものを引回しといった。

狩衣(かりぎぬ)
もと狩のときに用いたのでこの名がつけられたといわれ、平安時代の公家が常用した略称である。色は一定しないが、白無地で神事に用いるものをとくに浄衣という。また、官位の五位以上は文を織り込み、六位以下は無紋であった。江戸時代には模様のあるものを狩衣、 ないものを布衣といった。

(かんざし)
もとは冠の付属品で、冠が落ちないように止めるものであったが、頭髪または冠の飾りとしてつけた花を挿頭(かざし)といい、冠の止め具から頭部の装飾品として発達したことから、髪さしがカンザシに転じたといわれる。女性の髪飾りとして、鼈甲、珊瑚、漆塗りの花形のものや金、銀、銅を使ったぴらぴら簪などか作られるようになり、江戸時代には庶民の女性にも流行し職人が腕を競った。

黄八丈(きはちじょう)
八丈島特産の絹織物で、黄色の地に鳶、茶などの縞を表わしたもの。材料は全て島の自生植物でまかなわれ、しゃれた色合いと光沢がある上品な風合いで、江戸時代、町娘に人気があった。

袈裟(けさ)
不正雑色の意味があり、僧侶が左肩から右脇下にかけて衣の上をおおう長方形の布で、僧の階層を示す。もともとはぼろ布を継ぎ合わせたものだったが、のちに金襴、錦織などの豪華なものとなった。

襦袢(じゅばん)
ポルトガル語のジバン(胴着)の転訛したもので、十六世紀ごろから肌着をじばん、あるいはじゅばんと呼び、肌着の意のある襦と袢の字を当てた。

甚兵衛(じんべえ)
昔戦場で、武士は陣羽織、雑兵は陣兵羽織を着用したことが起こりという説がある。丈が羽織くらいでわずかに膝をおおい、袂がなく前の付け紐を添えた夏の一般男子の上着。

直衣(のうし)
直衣の袍の略で、ただの衣、すなわち平常服を意味し、平安時代以降、天子、摂家以下公卿の平常服をいった。位冠と違って色の規定がなく、好みの種種の色のものが着られたので、雑袍の名がある大臣家の公達と三位以上は勅許 を得れば、直衣のまま参内できた。

法被(はっぴ)
江戸時代、下級武士や中間が着用した裾の短い上着で、半纏に似ているが、職人主に着た半纏よりも格上とされた。また、襟、背、腰回りなどに屋号・氏名などの標識を染め抜いた法被を印半纏と呼んだ。明治時代の馬丁や車夫が着用した紺のめくら縞の法被も馴染み深い。半被とも書く。

振袖(ふりそで)
江戸時代に出現した袖丈の長い着物で、大きな袖が歩くと振れることからこの名がついたといわれる。はじめは元服以前の男女が着用したが、しだいに婚礼前の女性だけのものとなった。現在でも若い女性の盛装用として着用されている。

褌(ふんどし)
男子の陰部おおうための下着で、江戸時代に名付けられた。褌は地方によってさまざまな形体があり、六尺も長さのある六尺褌、布の一端に紐をつけた越中褌、短い布きれの前後に紐を通して脇で結ぶもっこ褌などが有名である。また、まわしとも呼ばれ、現在でも力士の締込みをまわしという。

浴衣(ゆかた)
古代、上流貴族は入浴のときに素裸にならず、湯帷子(ゆかたびら)といわれる単の着物を着用したが、湯上りに木綿の衣を着る習慣が広がり、ゆかたびらが略称されて、ゆかたと呼ばれ、浴衣の字が当てられた。江戸時代には一般庶民にも行きわたり、しだいに浴後だけでなく、夏の気軽な外出着として定着し、現在でも夏の風物詩として、浴衣姿のそぞろ歩きは欠かせないものとして親しまれている。


住まいに関する漢字

格子「隔子」(こうし)
格子は日本の建築が生んだ傑作の一つで、戸、窓などに現在でも多用され、日本的雰囲気をかもし出している。格子の種類は大きく四つに分けられ、木蓮格子は縦の組子に横の貫を通したもの、小間返し連子格子は、格子材の幅と同寸の開きを繰り返したもの、親子格子は、格子材に太さの違うものを用いたもの、吹き寄せ格子は、二本ずつ間隔の違う組子を組み合わせたもので、さまざまな明るさと陰翳をおりなす。

障子(しょうじ)
古くは屏風、衝立、襖など、仕切りとして障(さえ)ぎるものをすべていい、しだいに和紙を貼って採光もできる明かり障子だけを意味するようになった。障子は質素ななかにも清楚な気品が求められるようになり、格子の組み方にさまざまな形状を生み出した。よく知られた障子の種類に腰付き障子、腰高障子、水腰 障子、中抜き障子、摺り上げ障子(猫間障子)、雪見障子、あずま障子などがある。


(すだれ)
葦(あし)や細く割った青竹などを糸でつないで作られ、夏の強い日差しをさえぎる、

日本の夏には欠かせないものである。簾はまた、戸障子をあけ放った家の中の目隠しの役割もした。

昔から伊予の篠竹で編んだ伊予簾が有名だが、竹の簾が考案されるまでは、
ひもに玉をつらねて下げる玉すだれで
あったといわれる。
箪笥(たんす)
いくつもの引出しを重ねた収納家具で、衣類や食器、書類などを整理保管するためのものである。そのため、その使用目的に応じて、衣装箪笥、茶箪笥、食器箪笥、書類箪笥などと呼ばれ一般的に使われている。昔は職業に応じて、刀箪笥、商品箪笥、道具箪笥などさまざまな箪笥があった。現在でも箪笥は花嫁道具の重要な一つとなっている。

床の間(とこのま)
床の間の起源は鎌倉時代にまでさかのぼり、当時の釈家(仏門の家)で壁に仏画を掛け、その前面に台を置き、花瓶・燭台・香炉の三具足を飾り礼拝したのがはじまりとされる。室町期には、居室の置き場所は押坂と呼ばれ、宋や元から輸入された書画工芸品の鑑賞の場となった。

室町末期に茶の湯が盛んとなり茶室に導入あれ、室内装師的性格が加わって、床の間と呼ばれるようになった。現在のような形式が確立したのは江戸時代からで、武士階級の建築様式であった書院造りが一般に普及し床の間は格式と威厳を重んじる書院造の象徴と成り、今に受け継がれる。

長押(なげし)
格式をもたせ座敷などの鴨居の上に取り付ける柱と柱をつなぐ水平材。幅は柱の約0、八倍、書院風の大面取りの真の座敷では0、九倍、数奇屋風の半長押は0、六倍が適当ととされる。 

(ふすま)
採光のための障子と違い、外光をを遮断して、仕切りをするためのもので、寝所を意味する「臥す間」から出たことばといわれる。襖は、しだいに室内装飾にも重要な役割をはたすようになり、桃山時代には、絢爛、たる襖絵が出現し、絵画芸術の一分野を確立した。襖は形で分けると、縁なし襖(太鼓張り襖)、緑付き襖(生地襖・塗り襖)、源氏襖(腰襖)の三つに分けられる。

欄間(らんま)
採光・通風のために鴨居の上に作られるようになったもの。形状により、板欄間、筬欄間、透かし彫り欄間、菱組み欄間などの呼称がある。






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