日本の行事と祭

日本の行事と祭事

 

日本の行事と祭事


日本には行事や祭事が多くありますが現在ではなくなっている行事や祭事が多くなってます、神社などで行うみこしなど廃止した祭事など多いですね町おこしなどで復活した祭事などもみます。

【一月】
 
 四方拝(しほうはい)
元旦の寅の刻(午前四時)に、天皇が、清涼殿の東庭で天地四方の神や先祖代々のみたまを遥拝し年災を祓い、国家の幸いを祈る儀式。宇多天皇(八八七〜八九七年在位)寛平二年(八九〇年)に
始まったといわれる。

門松(かどまつ)
正月に祭神を迎える家の門口に立てる松をいう。地方によっては、楢、椿、朴、栗、榊、樒などの木を立てる。今日の門松の基本型となっている三本の竹の上端を斜めにそいで松をそえた形ができたのは鎌倉時代以降で、門松を左右一体に立てるようになったのは江戸時代になってから。門松は松の内(普通七日)が過ぎると取り払われる。

注連飾(しめかざり)
神社の入り口には、清浄な区域であることを示す注連縄が必ず張ってあるが、正月に各家で、門や神棚など何処でも注連飾りをつけるのは、魔除けの意味がある。白紙の幣をつけたものや、伊勢海老、橙、橘、昆布、裏白、柿串などをつけ、地方によって特色がある。

年賀(ねんが)
年頭に親類、知人、近隣の間で正式に行う訪問で、新年の賀詞を述べて挨拶する。昔は分家の者が本家に、使用人や出入りのものが主家に年賀におもむいた。もともとは、年越しの夜に親元や本家に集まり、寝ずに年ごもりして、新年を迎え、生きている親を祝福する行事であったが、この風習がすたれ、各家で年取りを行うようになって、年賀の形式が生まれたようだ。

お年玉(おとしだま)
最近では、親や親類、近隣の人が子供にお金を与えるようになり、その金額が高額になりすぎ問題となっているが、もともとは神棚に供えた小餅を元旦に家族の膳に供えたことによるといわれる。したがってお年玉は、神社が参詣人に与える小石や参詣人が神社に供える米、子供に配る丸餅などであった。

屠蘇(とそ)
元旦または正月三が日に飲む薬酒で、年始に飲むと一年中の邪気がはらわれ、延命の効があるとされる。中国から伝来し、日本では嵯峨天皇の弘仁年間(八一〇〜八二三)から宮中で用いられるようになり、江戸時代以来庶民の間にも広まった。

初夢(はつゆめ)
除夜から元旦の朝にかけては寝ない風習があったので、元旦の夜ないし二日の夜に見る夢を初夢というようになり、現在では一般的に二日の夜の夢をいう。この初夢によって一年の吉凶を占い、よい初夢を見るために宝船の絵を枕 の下に入れて寝るという風習が広まった。中世では節分の夜から立春の明け方にみる夢をいったが、これは立春を正月とした名残りであった。

歌留多(かるた)
一六世紀後半にポルトガルから伝来したカルタが起こりといわれ、花札や、うた歌留多、いろは歌留多などが作られた。平安時代の歌貝から歌留多の札形式になった小倉百人一首がその代表格。いろは歌留多は百人一首をまねて作ったもので格言やことわざを巧みに取り入れた絵歌留多である。花札は十二ヵ月に各四枚をつけ四十八枚の花合わせ歌留多である。

書初め(かきぞめ)
筆初め、初硯、吉書、試筆などともいわれ、一般的には正月二日に行う。もとは、鎌倉時代に、禅寺で行う元旦の会礼の時、年少の有髪の侍童たちに、それぞれ自作自書の新年の賀詞を発表させたことから、はじまったといわれる。江戸時代には、菅原道真の画像を飾り、若水で墨をすり、その年の干支でめでたいとされる方角に向かって、慶賀の和歌や漢詩を書くのが一般的であった。また、正月十五日の門松焚きに火にくべて焼くものとされた。

羽子板(はごいた)
コギ板が正式名。羽子板と呼び人気が出たのは江戸時代で、その年の当たり狂言、当たり役の役者の似顔絵などが描かれるようになってからである。のちにさらに装飾の立派な大形の羽子板が出現した。この羽子板は、羽子をを打ち合う本来の遊戯に使えないが、床の間間などに飾ることを目的とした。

七草粥(ななくさがゆ)
一月七日に、芹、薺、御形、繁縷、仏の座、菘、蘿蔔の七つの野菜を入れた粥で、七種(ななくさ)の節句ともいう。これを食べると万病を除き、邪気を祓うといわれている。また、この七日を人日といい、五節句「一月七日、三月三日(上巳)、五月五日(端午)、七月七日(七夕)、九月九日(重陽)」の一つである。

【二月】

針供養(はりくよう)
一年中の折れた縫針を集め、普通二月八日に供養するもので、こ日には針止めと称して針仕事を休み、古針を豆腐、蒟蒻、餅などに刺して川に流したり、紙にくるんで神社に納め、裁縫の上達を祈った。

釈奠(しゃくてん)
せきてん、さくてん、とも読み、春・秋に孔子とその門下十哲を祭る事である。日本では文武天皇のとき(七〇一)、はじめて大学寮で釈奠が行われた。当日は楽人が廟にはいり、孔子と十哲の肖像を掲げ、祭文読誦、奏楽、高位のものからの礼拝ののち、講論が行われた。

初午(はつうま)
稲荷神社の祭礼で、二月初めの午の日に行われる。赤いのぼり立て、笛や太鼓を、鳴らして、油揚げなどを供えて飲食をともにする祭りで、京都伏見の稲荷神社がもっとも名高い。稲荷が開運出世の神であるため現在でも初午の人気は高い。

【三月】

涅槃絵(ねはんえ)
涅槃は死の意味。釈迦入滅の日とされる旧暦二月十五日に報恩のために各寺 院で行われる法会。涅槃はは煩悩を滅して悟をひらく意で、入滅直前に弟子たちに最後に残した教戒を編纂(へんさん)した遺教経(ゆいぎょうきょう)を読誦して、釈迦の遺徳を追慕するものである。現在は三月十五日に行われる。

桃の節句(もものせっく)
宮中で古くから行われていた祝事で、曲水の宴(庭に流れる曲水に浮かぶ杯が自分の前に来るまでに詩を作った者が杯を取り上げ酒を飲む遊び)や闘鶏を行い草餅で祝った。これが民間に広まり白酒で祝い、雛祭りなどと混合した。

雛祭(ひなまつり)
三月三日に行われる女の子の祭りで、内裏雛のほか官女、五人囃、随身、衛士など、官廷を模した人形や調度を座敷に飾り、白酒やあられを飲食して楽しむ。もとは古代からあった祓の行事で、人形を川に流す雛流しなどがそれに当たるが、室町時代ごろから宮中の桃の節句・三月の節句が盛んになり、江戸時代にこれが結びついて現代の雛祭りとなった。

御水取り(おみずとり)
奈良東大寺二月堂で三月一日から二週間行われる修ニ絵(しゅにえ)の中の行法の一つで、三月十三日に行われる。午後二時ごろ、修行僧たちが、笙、ひちりきが奏でられる本堂から、大松明、咒師を先頭に、手松明、法螺貝、金剛鈴、牛王杖を持って南階段を降り、良弁杉の下に若狭の遠敷明神を勧請し、閼伽井屋(あかいのや)に降り立ち、香水をくみとって本堂に運ぶ行事である。この香水は諸病諸厄を払いのけると信じられている。

春日祭(かすがさい)
藤原氏一門の氏神の祭りで、加茂祭、岩清水祭と並ぶ三勅祭として、三月十三日に行われる春日大社の例祭である。仁明天皇の嘉祥三年(八五〇)にはじまるが、貞観(じょうかん)元年(八五九)に陰暦の十一月庚申(かのえさる)の夜に祭を行ってからは申の日に決まり、申祭りとも呼ばれた。

【四月】

更衣(ころもがえ)
宮中では古くから、旧暦の四月一日、十月一日更衣の日とし、冬装束を夏装束に夏装束を冬装束に衣を更。今のように四季それぞれの衣装はなく、下着で調 節した。徳川幕府は四月一日から五月四日まで袷小袖、五月五日から八月末を重帷子麻布、九月一日から八日までを袷小袖、九月九日から三月末までを錦入れ小袖を着用と定めた。更衣は季節感が強いことから季題として好まれる 。

灌仏(かんぶつ)
釈迦の誕生日とされる四月八日に釈迦の誕生を祝う法会。仁明天皇の承和七年(八四〇)に宮中で行われ、のちに民間に広まり花祭りの名で親しまれた。寺では花御堂とよぶ、花で飾った小堂を境内に設け、堂内に誕生仏を安置して、参詣者に甘茶を施す。この甘茶で墨をすり「昔より卯月(四月)八日は吉日よ神さけ虫を成敗ぞする」と書いた紙片を逆さに貼ると蛇の類が家に入らないという。

【五月】

八十八夜(はちじゅうはちや)
立春から八十八日目にあたる五月二日ないし三日で、この日ははじめて苗代に種子をまく。また夏へ移る日として農耕だけでなく、航海などでも古くから重視されてきた。八十八夜の名は「米」の字から出たもので、八十八歳の祝いを米寿というのと同じである。

端午の節句(たんごのせっく)
五月五日男の節句。端午は端(はじめ)の牛の日の意味で、座敷に五月人形を飾り、軒先に菖蒲をかけ、吹流しを立て、粽を食べ菖蒲湯をつかう。中国では五月五日を忌み嫌い病気や災厄をはう種種の行事が行われていたが、これが日本の五月を田植期の斎戒禁欲に伴う若者の成年受戒の月とする風習と重なったと思われる。男の子の節句となったのは平安時代の近衛府の騎射(うまゆみ)【五月五日に宮中で行われた】の行事に由来するといわれている。

葵祭(あおいまつり)
五月十五日に行われる京都の上賀茂神社と、下鴨神社の祭りで、これを葵祭というのは、祭員が頭に葵をさし、軒にも葵をかけたためである。

神田祭(かんだまつり)
五月の中旬に神田神社で行われる江戸の三大祭の一つ。神田神社は、日枝神社(山王権現)とともに江戸城内にあって江戸城内の鎮護に当たった。

三社祭(さんじゃまつり)
浅草神社の祭りで、同神社はもとは三社権現といわれ、一寸八分の黄金の観音を魚網にかけたといわれる漁師の真中知(まうち)浜成、武成の三人を祭ったから三社祭と呼ばれた。

【六月】

山王祭(さんのうまつり)
山王祭の日枝神社は、太田道灌が江戸に移ったとき、今の埼玉県川越から勧 請したもので、延宝九年(一六八一)以降は、神田祭と山王祭は隔年ごとに行われた。祭日は六月十四日から一六日。

大祓((おおはらえ)
半年のしめくくりとして、六月三十日に罪やけがれをはらう儀式として行われるので、水無月祓、名越祓ともいう。宮中では「節折」(よおり)という。大祓は十二月にも行われる。新年を迎えるため、一年の罪やけがれをはらう儀式を行う 。

【七月】

七夕(たなばた)
旧暦七月七日の行事で、願い事を書いた五色の短冊を竹の枝に結びつけて前日の宵から飾り、七日の夕方に川や海に流す。七夕は、中国の牽牛星(はんぎゅうせい)と織女星が一年にたった一度だけ、七月七日に天の川を挾んで会うという伝説と、日本固有の棚機つ女の信仰が結びついたものといわれる。祭りとしては、仙台の七夕祭が飾りつけが華やかで規模も大きく有名である。

盂蘭盆(うらぼん)
年間行事のうち、正月行事に匹敵する行事で、単に盆という。旧暦七月十五日の前後数日間、先祖の霊を迎えて供養し、終わると再び送る。仏弟子の日蓮尊者が餓鬼道に落ちて苦しむ亡母を救う法を釈尊に相談すると、夏の修行の終わる七月十五日にその僧たちに施しをすれば、七世父母・現在父母の苦しみを教えると教えた盂蘭盆経によるとされる。
民間の盆行事は、日本国有の信仰が仏教の影響を受けたものと考えられ、盆踊りは空也上人(こうやしょうにん)や一遍上人(いっへんしょうにん)が広めた念仏踊りから出たものである。

祇園祭(ぎおんまつり)
京都の八坂神社(旧祇園社)の祭礼で七月一日から二十九日まで行われる。清和天皇の貞観十一年(八六九)、疫病退散のために神泉苑で御霊会を営んだのにはじまるといわれる。七月十七日長刀鉾を先頭に鉾七基、山十三基が市内を巡行し御旅所へ渡御し、二十四日還幸祭、二十九日の神事済奉告祭で終了する。今日の山鉾は、無骨法師が長保元年(九九九)にはじめたといわれ、桃山時代に確立された。

佞武多(ねぶた)
津軽地j法の禊祓い(みそぎばらい)の祭礼を佞武多といい、七月七日から一週間おこなわれる。山車は大きな、はりこでこれをねぶたといい、いろいろな形のねぶたに、笛、太鼓、鉦の暄噪な踊りで街をねり歩く。七日の夜には船に乗せ、沖の闇に渡る。ねぶたは今では夏の行事として多くの観光客を集めている 。

阿波踊り(あわおどり)
盆踊りの一つで、現在は各地で愛好されているが、徳島が発祥の地である。阿波藩の祖、蜂須賀家政が徳島城築城を記念して、酒をふるまい、町民が喜んで踊ったことによるとされる。

【八月・九月】

竿灯(かんとう)
秋田市で八月六日の七夕に行われる行事。長い竹竿に四十六・四十八個の提灯をかけ、肩や額にのせ街中をねり歩く。睡魔を払うう行事といわれる。

重陽(ちょうよう)
九月九日の節句で、菊の節句ともいう。中国の菊花宴をならって、天武天皇一四年(六八六)年に始まったといわれる。九月九日は陽数の九が重なるため重陽といわれる。

【十月】

神嘗祭(かんなめさい)
祭祀者である天皇が天照大神にその年の新穀の初穂を奉る祭礼で、毎年十月十七日に宮中と伊勢神宮で行われた。農産物の生産神にその恩恵を報謝する儀式として古代社会ではきわめて重要な式典であった。神嘗祭に先立ち、九月中旬に抜穂祭があり、神田から新穀を調達して用意するものである。神嘗 祭は大宝律令や延喜式で国家の重儀に定められていたが、土御門天皇(一一 九八 〜一二一〇)の代に廃止され、明治四年に復活された。

【十一月】

酉の市(とりのいち)
十一月の酉の日に行われる鷲明神(おおとりみょうじん)の祭礼で、昔は「とりのまち」といわれた。鷲明神はもとは武運の守護神として武士の参詣が多かったが、今は商売の神様としての信仰があつい。縁起物の熊手を売る露天が並ぶのが特徴で、御祝儀値段で高い熊手を値切って買うのが通例でである。今日もっとも人気があるのは浅草鷲神社のお酉様である。

新嘗祭(にいなめさい)
天皇が新穀を神に献じ、自らも食した儀式。毎年十一月の第二の卯の日が新嘗祭と決められていたが、明治六年以降は十一月二三日と定められ、国民の休日となった。現在は勤労感謝の日となったが今も多くの神社がこの祭事を行 う。

【十二月】

煤払い(すすはらい)
正月を迎える準備の日とされた十二月十三日に行われる。家の中の煤掃きには早すぎるので、十三日は神棚、仏壇が清められた。煤払いが終わると煤湯で体の汚れを落とし、煤払いの食膳につくのがならわしである。

年越し蕎麦(としこしそば)
大晦日の夜、年越しのしきたりとして食べる蕎麦のことで、東京ではみそか蕎麦、大阪ではつごもり蕎麦という。縁起のよい食べ物として、蕎麦のように細く長く、寿命を保つものとして食される。また、蕎麦は風雨にさらされても、翌朝、日の光に当たればすぐに元気になることから、七転八起につながるとされたともいわれている。

除夜(じょや)
十二月三十一日の大晦日の夜をいう。この夜は日本中の寺で、百八つの煩悩を消す除夜の鐘を打ち、新年を迎えるために、心身を清める行事を行う。家では、神棚や仏壇に灯明をつけ新年の礼拝をし、お鏡を飾ったところすべてを礼拝し、新年の幸を祈ったもので、家人は互いに新年の挨拶をかわした。


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